写真散歩
から

2012

(その6)

坂本駅前からしばらくは、夏休みに無動寺谷を降りて坂本に出たときに、滋賀院門跡にお参りしたあとに駅に行くために通った道を進みます。

滋賀院への参道を越えてしばらく行くと、榊宮社という神社があります。
由緒書によれば、「日吉大社の境外百八社のひとつで、大己貴命を主神として奉っている。日吉山王祭のときは、大津の天孫神社から神様を迎えるための榊をこの神社に一時留め置くおくため『榊宮社』という。」のだそうです。

写真をみると数メートルもある大榊を荷車に積んで、坂本から大津まで深夜に引き回すようです。山王祭は、4月中旬に行なわれるので、一度見てみたいです。

坂本の町はずれにあたるところにあるお堂です。 閉まっていてわかりませんが、地蔵堂かもしれません。前に頬焼地蔵や無動寺の道標が立っています。

頬焼地蔵とは、坂本駅から日吉大社に行く途中の左手にある里坊寺院の妙行院の本尊です。「昔、地蔵様に雨よけの笠を差し掛けた猟師が、病気で死に地獄に落ちたとき、地蔵様が身代わりになって地獄の炎で火傷を負われながら猟師を救い出した。生き返った猟師が地蔵様にお礼参りに行くと、頬の半分が焼けただれていた。」と伝えられています。

今は、使われていないのでしょうけれど、半鐘がぶら下がっていました。

その先には、大きな十一面観音様が、道路わきの民家の庭先のようなところに立っておられます。拝殿のような小屋はありますが、何も説明書きのようなものはありませんでした。とつぜん、道端に観音様が現れるとびっくりしますね(^^♪

そこが旧街道の面白いところなのかもしれませんが(笑)

これも近寄れなかったので文字が読み取れませんでしたが、神社のお旅所です。双体仏が気になったので写しときました。

道は、石坂線の下をくぐって湖側にでます。坂本地区と穴太地区の村境になるところに盛安寺があります。

このお寺も、明智光秀のゆかりの陣太鼓や桃山御殿風の重文の客殿や立派なお庭など見るところが多いのですが、なぜかお寺の方が居られず、拝観することは出来ませんでした。

道路を隔てた隣に観音堂があります。この観音様も平安時代の作で重文です。いまは収蔵庫に納められてますが、ガラス越しに拝むことが出来ます。

おそらく防犯装置はあるのでしょうけれど、なにか不防備に見えて夜陰に紛れて盗み出されるような心配がしてならないのですが・・・・・

このコーナーで使用しております背景の秋のコスモスのイラストは、素材集「ブルー・テイジー」よりお借りしたものです。無断転載はお断りします。

Home

Back

Next

Index