写真散歩
から

2012

(その7)

たまたま、盛安寺を出たところで、京都駅の近くからきたという女の方が、「盛安寺の客殿を見られましたか?」と話しかけてこられました。私が「お寺の方がおられなくて、見れなかった。」というと、「やっぱりそうですか。」といって、穴太駅近くまでご一緒しました。

この方も、仏像好きだそうで、最近に湖北から越前まで足を伸ばして来られて、連休中は、大津市内を歩かれているそうです。いわゆる歴女・仏像ガールさんですね。よく勉強されてて、いろいろとブログのネタになりそうな話題を提供していただけました。そのうちに何箇所は行って見たいです(^^)

しばらく行って、高穴穂神社のところで、「ここから駅へ行って大津祭りを見学します。」ということでお別れしました。

この神社もその方に由来を教えていただいたのですが、なんと12代景行、13代成務、14代仲哀の3天皇にゆかりの志賀高穴穂宮(しがのたかあなほのみや)の跡なのだそうです。成務天皇の宮が近江にあったとされるのは、古事記などに書かれてますが、こんなところとは知りませんでした。やはり電車や車で通過するだけでなく、歩かないとダメですね(^^)

高穴穂神社のお旅所のお地蔵様に一心にお祈りされてるおばあさん。この辺り方は、みな信心深いのでしょうねぇ。

私も続けて、ここまで歩きとおしていろいろと見るべきものも見させていただいたことを感謝して、拝ませていただきました。

旧道が、西大津バイパスの唐崎駅への取り付け道路に取り込まれるところに、穴太地蔵堂があります。「伝教大師自作の地蔵菩薩」と彫られています。真偽は別として、この地区の方に昔から守られているのでしょうね。子供の守り神様だけあって、ヤクルトと子供用のコップが供えてあるのには、なにか感動しました。

ここから田んぼを突き切って、石坂線の線路に出ました。線路がちょうど西大津バイパスを越えるあたりに、棚田の風情の残っているところがありました。

今まで、こんな風景を探していたのですが、最後に見つかりました。満足満足です。

それにしても坂本・穴太地区は、比叡山の門前町だけあって、文化財が豊富ですね。街道筋から見えるところだけでもこれだけネタが拾えるのに、裏道まで探しにいくと、いくらページがあっても紹介しきれないくらいです。

帰りの電車を待った滋賀里駅の近くにも、古墳や廃寺や大津京跡などまたまだ行ったことの無い史跡が点在しています。再訪を誓って帰途に着きました。


最後まで、ごらん頂きましてありがとうございました。
お帰りには、掲示板またはブログのコメント欄にご感想など賜りましたら幸いです。


このコーナーで使用しております背景のツタのイラストは、素材集「ブルー・テイジー」よりお借りしたものです。無断転載はお断りします。

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