さようなら 魚沼線・赤谷線in 1984
(その2)

はじめての所沢行きから一年経って、山口線の廃止と新交通システムへの転換が発表されました。都内から一番近い正式な地方鉄道のナロー線の廃止とあって大勢のファンが狭山を目指しました。

遊園地前駅の様子です。ビデオカメラを担いだ人たちは、テレビ局の取材陣でしょうか? 
コッペル社製のSLは、「527号機」と「532号機」の2台あり重連運転で花道を飾っていました。バッテリーロコは、B11から15号機まであったようです。

遊園地前駅からユネスコ村にかけては、多摩湖畔にそって線路が引かれ、平行する道路も整備されているので、列車を追いかけながら移動しました。
(遊園地前〜中峰信号所)

ナローとはいえ、間近でみるSLはやはり迫力がちがいます。

SLの引く客車は、元井笠鉄道の木造モニタ屋根オープンデッキの「マッチ箱」と呼ばれたミニ客車でした。

山口線には、中峰と山口の2ケ所の信号所がありました。ふだんは閉鎖して、信号機やポイントもロックし、多客時のみ交換設備を使っていたようです。
この写真は、山口信号所でのタブレット交換風景です。この頃は、国鉄の川越線や相模線でもまだタブレットを受け渡しする様子を身近に見ることが出来ました。のどかな時代だったんですね(^^♪

通票交換の拡大図です。

中峰信号所へ向けて発車する532号機


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