写真散歩 東高野街道 石清水八幡の門前町を歩く 2012 梅雨空 (その4) |
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いよいよ旧高野街道を歩き出します。途中にはまだまだ古い民家が点在しており、要所には石碑の道しるべがぽつぽつと建っています。 並行してバス通りの新道が通っているのですが、旧道も抜け道になってるので、それなりに車が通ります。歩道はおろか路側帯白線もないところがほとんどで、光景にみとれていると、交通事故を起こしそうです(笑) |
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男山の麓の善法律寺に参ります。ここも紅葉寺のひとつで、境内には紅葉の木がいっぱい植えてあります。 |
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山門をくぐり、庫裏と阿弥陀堂の前を通るとスイレン池があります。池の中には弁天堂でしょうか、小島があって小祠が奉ってあります。 山側に荘厳な本堂があります。パンフレットによれば中には僧形八幡神像が安置されているそうです。明治の廃仏毀釈までは、石清水八幡の祭神とされていたものだそうです。(本堂の拝観は予約制です。当日お寺のひとに頼んでみましたが「準備が出来ない」とまた断られました(^^ゞ ) |
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街道をまた少し行くと、正法寺があります。門前には「尾張徳川家菩提寺」と書かれ、参道の奥には立派な唐門があります。 このお寺は、徳川家康の側室で尾張徳川家の初代義直公の生母のお亀の方の生家です。御三家筆頭のゆかりの寺とあっては、立派なのも当然ですね。 |
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残念ながら、ここも一般公開日以外(下の予定表参照)は閉門されています。門のすき間から本堂と前庭をのぞいてみたのですが、非常に立派な作りでした。 ただ覗き見の写真をアップするのも罰が当たりそうなので(笑)、鐘楼の写真だけ掲げておきます。 |
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まちかど博物館に寄った時に、館長さんに「八幡のお寺は予約制ばかりで、ふらっと立ち寄れないですねぇ。」とグチをいうと、 「私たちもお寺さんに常時公開するように頼んでいるのですが、やはり人手不足で、京都の観光寺院のようにはいかなくてねぇ(^^)」との返事でした。 |
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もうすぐ松花堂につく手前に、八角堂があります。先に訪ねた正法寺の境外末寺になっています。もともと石清水八幡の境内にあったお堂ですが、やはり明治の廃仏毀釈で神社から取り払われ、もと前方後円墳の古墳の頂に移築されたものです。 内部には、阿弥陀様が奉ってあったそうですが、今は仏像は正法寺へ引き取られています。 最近、新聞で「八幡市が貴重な神仏習合の遺品を保存するため動き出した。」とでています。地元の方がボランティアで清掃などされているようですが、市当局が補助をだして文化財を守るのは、よい動きですね。 |
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このお堂に着いたときは、パラパラと小雨が降ってきましたが、逆にアジサイが奇麗に見えました。 |
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松花堂の旧正門に着きました。まちかど博物館で教えてもらったところによると、「もともと男山山麓の「一の鳥居」前にあった高坊(たかぼう)の寺門を八幡小学校の校門に転用し、さらに松花堂庭園の敷地に移った。」とのことです。200年以上前の建物だろういわれてます。 この旧街道に面する門は今は使われておらず、バス通り側に入り口があります。 この松花堂のあるところは、東高野街道と奈良街道(歌姫街道)の分かれ道になってます。真っ直ぐ進むと洞ヶ峠を越えて、生駒山の西麓を通って、高野山へ、左に回ると、生駒山の東麓をたどって、前に紹介した田辺の一休寺の付近を通り、奈良へと続きます。 この先の道も、またたどってみたいですね。 |
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最後まで、ごらん頂きましてありがとうございました。 お帰りには、掲示板またはブログのコメント欄にご感想など賜りましたら幸いです。 |
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このコーナーで使用しております背景のアジサイのイラストは、素材集「ブルーデージー」よりお借りしたものです。無断転載はお断りします。 | |||||
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