写真散歩 東高野街道 石清水八幡の門前町を歩く 2012 梅雨空 (その2) |
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神応寺の本堂です。境内は小高い丘の上に有るのに、小池もあり草花もたくさん咲いています。ご本尊の薬師如来さまに頭をさげてから境内を一周しました。 |
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寺務所の前の庭に咲く花の実。ちぃっちゃなリンゴか柿みたいです。 (名前わかりません? だれか教えて<m(__)m> |
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竹の里だけあって、竹のベンチがありました。座るとちょっとお尻にあたってあまり長居は出来ないみたい(^^ゞ |
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杉山谷不動尊にむかう参道脇に咲いてたアジサイ。まわりが杉や竹がうっそうと茂ってうす暗い中でここだけ輝いて見えました。 |
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お寺を出て今度は門前町を散策します。 ここでは、チョー有名な(笑)「放生川の安居橋と蔵」のスナップ写真は撮らないと地元の人に怒られるでしょう(^^) |
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橋をわたってちょっと行くと「淀屋辰五郎旧邸」と書かれた碑のある民家の前にでました。大阪の淀屋橋に名を残す、天下の豪商の晩年の住まいのあったところです。 淀屋辰五郎の半生は虚実取り混ぜて語られますが、ものすごい豪遊をしたカドで財産を没収され、大阪から追放になり、のちに許されてここに蟄居し、わずか35歳の若さでなくなっています。 淀屋がつぶされた表向きの理由は「町人の分を過ぎた行い。」とされてますが、実態は、淀屋の大名貸しの借金を棒引きするためだそうです。昔も今も「権力には勝てまへんなぁ(T_T) 」 |
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さらにブラブラ歩いていると、「後村上天皇行宮跡」と彫られた大きな石碑の前にでました。その時は、「後村上帝といえば、たしか南朝の天皇様だったよなぁ?」程度で、行き過ぎたのですが、帰って調べると「南北朝時代の西暦1352年、八幡の石清水八幡付近で、南朝と北朝の争いがあり、そのときに南朝の本陣の置かれたところを記念するために、昭和3年に建てられた。」 ということがわかりました。 南北朝の合戦と言うと、吉野や神戸の湊川、大阪の四條畷などが有名ですが、八幡も交通至便な地のため、対岸の山崎とともに合戦場になることが多かったんですね。 |
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このコーナーで使用しております背景のカエルのイラストは、素材集「ブルーデージー」よりお借りしたものです。無断転載はお断りします。 | |||||
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