×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。


(その1)

ようやくハイキングしても、汗をかかない良い気候になってきましたので、また大原から比叡山・坂本・穴太へと行者道を歩いてきました。

さすがにまだ山道も、紅葉には早いですが、すかすがしい秋の景色を満喫できました。

2012/10/06. 撮影

今回の出発点は、春に大原を散歩したときに、ここからも比叡山に登れますと紹介した京都バスの戸寺バス停です。

時間は、まだ7時50分。山里はようやく朝日が差し込んだところです。天候は曇り時々晴れといったところ、まずまずのハイキング日和です。まずは登山口に向かいます。

春の比叡山は、こちら

バス通りをすこし北に向かって進み、「惟喬親王墓」の標識に従って山手に折れます。すぐに坂道になって民家の途絶えたところに、このような木彫りの人形がありました。立ち木に直接彫り込んであるのでしょうか?

田んぼは、すでに稲刈りも終わり畦の彼岸花も勢いを失っています。できれば群れ咲くような彼岸花を撮りたかったのですが、ちょっと遅かったです。

数分歩くと、惟喬親王のお墓に着きます。

親王は、文徳天皇の第一皇子として生まれましたが、母が紀氏の出身のため、藤原氏の反対のため、皇位に就くことが出来ず、悲劇の皇子のひとりに数えられています。後に近江や山崎・水無瀬などにも閑居されています。

洛北から近江にかけては、親王の寓居の跡と伝えるところが点在しています。東近江の鈴鹿山地の山中では、親王が木地師の祖として崇められています。

季節ちがいですが、伊勢物語にも採られた

世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」 (古今集 春53)

の有名な歌は、親王の渚の院(大阪府枚方市)での花見の宴で、在原業平が詠んだものです。

親王は、今も、大原でも観光地化されていない山麓にひっそりと眠っておられます。

親王のお墓からいよいよ登山道に入ります。しばらくは林道が続きますが林道の終点で丸木橋を渡って山に取り付きます。

のっけから急な上りが続いてひと汗かきます。この急な道は「ボーイスカウト道」と呼ばれます。ボーイスカウトの登山演習に使うからでしょうか?

すこし登ってはちょっと休憩を繰り返し、最後の急坂は尾根に這い上がるように進んで、やっと大原バス停のほうから登ってくる、東海自然歩道のコースに合流します。

大原からのほうが距離は長い代わりにそのぶん楽なのですが、途中の惟喬親王墓にお参りしたかったので、急坂のコースを取りました。だいぶん歩いたように思いましたが、坂を登ったのはわずか20分程度でした。

ここからは、ゆるい尾根道を峠まで進みます。

バス停からちょうど1時間で、仰木峠に着きました。現地の説明版によれば、その昔は近江からお米や藁製品(俵・むしろ)などが大原に牛馬や人力で運ばれたそうです。また婚礼があると花嫁さんも峠を越したそうです。

実際に洛北と西江州は、結びつきが多く、先祖は大津市の北部の仰木や堅田地区というお家は少なくありません。また、かつてはお盆に大原と仰木の村人が比叡山の横川に集まって盆踊りをしたという話も聞きます。

このコーナーで使用しております背景の花のイラストは、素材集「ブルー・テイジー」よりお借りしたものです。無断転載はお断りします。

Home

Back
       
Next

Index