魚沼線・赤谷線
in 1976/1986
(その2)

次に鶴見線へ撮影目的で行ったのは、10年後の昭和61年の3月です。この日の東京は春の大雪で国電も止まったりして大騒ぎでした。

昭和61年3月23日撮影


横浜市内まで来ると、雪はみぞれまじりの寒雨になってました。 (国道駅)


さすがに、この頃になると旧型国電は珍しくなり、ゲタ電目当てに鶴見線を訪問するファンの姿は良く見られました。テレビや映画のロケに使われたりもしました。 (クモハ12052)


国道駅は無人化されてましたが、昼間は鶴見駅から人が来て補充券で切符を売ってました。京浜東北線や中央快速線の車内でも頻繁に車内改札がありました。今考えると、国鉄末期の増収&余剰人員対策だったのかもしれません。 20数年も経つと一枚のペラ切符にも世相が重なって見えますね(^^)v


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