さよなら 魚沼線・赤谷線in 1984
(その1)

国鉄の赤字ローカル線廃止対象第一次路線に指定された新潟県の魚沼線、赤谷線は1984(S59)年3月末をもって廃止されました。廃止が一ヵ月後に迫った3月上旬両線を乗り収めしてきました。

(1984/03/03・04 撮影) 

御徒町駅の切符売り場で「東赤谷まで」というと、「そこは何線にあるのか?」と聞かれてしまいました(笑) 
おそらく窓口氏はこの駅までの切符を初めて売ったのでではないでしょうか(^^ゞ

まだ東北上越新幹線は大宮始発のためリレー号で大宮まで行き、特急券を節約のため浦佐で在来線に乗り換え宮内でまた信越線に乗り換えて始発駅の来迎寺までやってきました。


来迎寺駅の0番ホームで発車を待つ西小千谷行き。キハ47+28の編成でしょうか?
廃止当時、この線は朝夕5往復(土曜は昼前後にもう1往復)という超閑散ダイヤでした。記憶があやふやなのですが(笑)夕方の列車なら午後5〜6時台の運転なので3月初めならもう暗くなっているはずで、おそらく昼間の1往復を狙って行ったと思います。

小粟田駅の待合室。廃止のお知らせが貼ってあります。

小粟田駅の駅名票。何もない無人駅でした。

西小千谷駅で発車を待つ上り列車。まだお名残乗車の乗客も少なく車内もホームも閑散としています。この駅自体は小千谷の町の中心街に近かったのですが、並行して上越線が走り、国道をバスも頻発していたので長岡へ行くのに乗り換えの必要なローカル線の存在意義はあまりなかったようです。

西小千谷駅の駅名票

西小千谷駅の経歴表。駅員さんの手書きです。

切符館の「魚沼線のコーナー」へ


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