さよなら in 1984
(その1)
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新発田駅前のホテルに泊まり、翌日は赤谷線に乗りました。この線も一日数本しか走っていません。土曜の昼間に1往復増発されるのは通学と半ドンの通勤輸送のためでしょうか。まだ週休二日制はそれほど普及してなくて、隔週とか月一回土曜休みの会社も多かったです。
(1984/03/03・04 撮影)
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朝の通勤通学輸送のため、4連で到着した新潟行き列車。村上 - 間島間の交直切替区間を通過するため電化区間ですが気動車で運行されています。先頭のキハ35の外吊両開扉が懐かしいです。運転台のデフロスタも寒冷地らしいアクセントです。
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赤谷線は急勾配区間があるのでキハ52が使われていました。
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バス停みたいな名前の仮乗降場がありました。大型時刻表にもその存在は無視されていました(^^)
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難読駅の五十公野駅の駅名票
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雪に埋もれる赤谷駅の改札口付近。雪かきが豪雪地帯を感じさせます。
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東赤谷駅に着きました。この駅は急勾配の山中に駅を作るため、スイッチバックして構内に入るという変わった配線の駅でした。
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吹雪の東赤谷駅の様子。かつては専用線なども延びていたそうです。
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雪に埋もれる転轍器小屋で駅員さんが出発を見守っています。スイッチバックの特殊な配線のためなのでしょうが、頭の下がる思いがします。
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