写真散歩
海住山寺恭仁宮跡巡り
(その1)

1.海住山寺

京都市内から木津川市へは国道24号線を南下するのが一番近いのですが、たまには違う道をということで、府道八幡木津線をたどっていくことにしました。普段近鉄線や学研都市線の車内から眺める風景ですが、天井川をくぐったり、旧街道らしい古い民家をかすめたり、名所案内に出てくる神社・仏閣の前を通ったり、学研都市につながる立派な道が分かれていったりするのを見ながらJR木津駅前に着きました。

ここから伊賀街道(国道163線)を数分東へ走ると、山城郷土資料館につきます。
http://www1.kyoto-be.ne.jp/yamasiro-m/


ここで、展示物をみてコースの確認と基礎知識を仕入れていくことにします。ちょうど古代瓦の展示会をやっていました。椿井大塚山古墳出土の三角縁神獣鏡やこの近くで鋳造されたといわれる「和銅開弥」(銭司の地名が残っています)、恭仁宮の復元模型などが目を引きました。

一番面白かったのは、復元した銅鐸を鳴らした音です。実物は貴重な文化財のためなかなか鳴らしたりはできないのでしょうが、思ったより低いくぐもった音でした。お寺の吊り鐘の「ゴーン」よりは、本堂にあるおりんの大きいものの「カーン」という感じの音です。
資料館の前庭に立っている万葉歌碑です。
「娘子らが績麻を懸くといふ鹿背の山時しゆければ都となりぬ」 
(現代語訳:娘達が細かく撚った麻をかけたと言う鹿背の山も、時が移って都となった。)

聖武天皇が平城宮から遷都されたことを寿ぐ歌です。しかしこの都もわずか数年で廃都となり、この先、「難波宮」→「紫香楽宮」→「平城宮」とたびたび移ります。引越し大好き(笑)の天皇の気まぐれ(失礼)に付き合わされた貴族も平民も、いい迷惑だったのでしょうね。


資料館をでて、海住山寺へ向かいます。国道から道標にそって田舎道に入ると急に細い道で、前から対向車が来ないかヒヤヒヤでした(笑) 集落を出るとさらに物凄い急な山道で、ローギアに入れてノロノロと上っていきます。車で来て良かったです(^^ゞ

本堂の内部は撮影禁止ですが、ご本尊の十一面観音さまと眷属の四天王さまをはじめ仏像や仏画が多数安置してあります。観音様はお厨子の前まで進んでじっくりと拝ませていただきました。

















五重塔は、一層の下に裳階のある珍しい形式で国宝に指定されています。



このコーナーで使用しております背景の「あじさい」のイラストは、「blue daisy」さんの素材集「blue daisy」よりお借りしたものです。無断転載はお断りします。


Home

Back
       
Next

Index