魚沼線・赤谷線
in 1984
(その1)

昭和59年の秋、首都圏近郊のローカル鉄道の趣きの残る。総武流山電鉄(現:流鉄)を訪ねました。当時のもより駅、武蔵野線新小平駅からは、武蔵野線で新松戸へ行くのが早くて便利のようですが、なぜか上野から常磐線回りで馬橋まで行っています。途中まで定期が使えるので、こちらの方が得だと思ったのでしょうか(^^ゞ

さて、上野駅で馬橋までの乗り越し切符を買った記憶は有るのですが、そこからどうして流山まで行ったかさっぱり思い出さず、フィルムも流山構内を見下ろすところから始っています。


構内の留置線に停車中の「流馬号」です。元西武の(2代)501系ですが、最寄駅の西武多摩湖線では、初代501系の後進の351系が最後の活躍をしていました。


「流馬号」と並ぶ「なの花号」こちらは旧西武鉄道551系です。よく似た車体ですが、扉が片開きと両開き、屋根の通風器の形態がガーランド式とグローブ式、正面も2枚が完全に分離しているのと、連続窓風の違いが見て取れます。10年近くあとに製造された「なの花」のほうがやはり近代的な姿をしています。



おそらく、行きに目を付けておいたと思われる、「小金城址駅」まで戻って撮影しました。やってきたのは、モハ1101とクハ52の古参コンビです。
この頃は国鉄でも旧型国電や旧型客車が最後の活躍をしていた頃ですから、そんなに違和感もなかったのかもしれません。


この日は、昼間は「なの花」と「古参車」の2編成が小金城址駅ですれ違いながら行ったり来たりしていたようです。


最初に自動販売機で馬橋までの切符を買い、帰りに窓口で記念用に連絡切符を買いました。そして馬橋駅の連絡改札でまた地下鉄線の連絡切符を記念に買っています。まだまだ硬券が巾を利かせていた頃です。

流山線では、「長距離の連絡乗車券や往復乗車券では、旧様式の運賃2等XXXX円と印刷された切符をまだ売っている。」という話を昭和50年代前半に単行本で読んだ記憶があるので、それから数年しか経っていないこの頃でも、京都か大阪行きの往復切符を買えば昭和30年代に印刷された貴重な切符(笑)を売ってくれたかもしれませんネ。


さて、つくばキスプレスの開業で、流山市内から乗換え無しに都心まで行ける様になり、流鉄の乗客は激減し、存続の危機も噂されているとも聞きます。ミニ私鉄の未来はかなり厳しそうですが、なんとか持ちこたえて欲しいところです。



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