魚沼線・赤谷線
in 1981
(その1)

昭和56年9月、学生生活最後の夏休みに鉄道研究会の北陸撮影会に参加しました。

例によって、記憶があやふやで(笑)、富山港線の写真が数枚が残っているだけで、近くを走る北陸本線や富山地鉄には行かなかったのか? 富山までどう行って、どう帰ってきたのか? さっぱり忘れています。

しかも、撮影地のメモも紛失して、どこの駅なのかもわからなくなっています(^^ゞ城川原駅付近(?)は推定ですので、ご存知の方がおられましたら教えてくださいね。

昭和56年9月6日 撮影



記憶では、一度終点まで行って、数駅もどって撮影したように思います。

下り列車の発車するところです。前のクハ79は全金属の920番台、後のクモハ73も更新改造車で、それなりに調った内外装です。特に全金属車は、昭和30年代前半の製造で、この撮影時でも車齢25年程度と、けっして古い車という訳ではありませんでした。

上り列車の到着するところです。左端にも車両がチラッと写っているので、城川原駅構内南側ではないかと推定しました?

9月上旬ですが、すでに稲穂がだいぶん出ています。

電車を拡大したものです。
入換用運転台並みの簡素な前面です。必要最低限の細工だけで中間車を先頭車改造したのでしょう。
今も食パンとか鉄仮面とか云われる改造車はよく見かけますが、乗り心地には関係ないにしても、もうすこし工夫して欲しいところですよね(^^)


貨物列車も走っていました。

列車を拡大するとDD13340の牽引とわかります。よく見ると貨物列車と架線の位置がずれています。調べると蓮町から富山操へ向かう貨物線が城川原駅付近まで併走していたそうですから、富山操に向かう貨物列車でしょう。

それにしても、模型にしたいような編成ですね。



富山港線も、LRT化され「ポートラム」に生まれ変わりました。富山市内線にも「セントラム」の環状線が新設され富山市内の鉄道は、この頃から大きく変わっているようです。北陸新幹線が開業して、在来線が民営化(?)されれば、さらに変わってしまうかもしれません。
比較的近場なので、一度、見に行きたいところです。


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